昭和52年03月07日  朝の御理解



 御理解 第43節
 「死んだからと言うて、神のおかげを受けずにはおられまいが。死に際にもお願いせよ。」

 死に際にもお願いをする。死んでからでもお願いをする。そういうお願いの出来れる、一つの、道を体得しておくという事が、有難いんですね。死に際にもお願いが出来る。死んでからとても、またお取り次ぎを頂く、お願いをして、御霊ながらの安心。喜びの御霊としての、おかげが頂かれる。
 昨日、久留米の佐田さんの所のあばあちゃんの、合祀祭に合わせて、50日の(くにし祭)が、盛大に行なわれました。昨日、私初めて分かったんですけれども、(くにし祭くにし祭)というのは、一つの業の様なものを、かろうて行くと、それを例えば、始めの間は、まぁ簡単に持っとるけれども、しばらく持っておると、手を変えるとか、ちょっと休むとかと言う様な事をしなければ、腕がだれてくるように。(くにし祭)というのは、そういう意味のものだと、昨日頂いた。
 本当に、あの大事なお祭りだと思いますね。御霊様がね、いっぱい言うならば、荷物を持っておる、始めの間は簡単に持つけれども、しばらく持っておると、やっぱ乱れて来る。そしてそれをそこに、置いて一服せにゃならんです。とい、それが(くにし祭)だと。ですから、死んでからでもやはり、お願いをしなければならない。死んでからでも、金光大神のお取次を頂いて、いよいよ力を頂いて行かねばならない。
 あれ程しの信心を、生前頂いておられましたから、もう万事万端の上に、おかげを受けておる御霊だなと、まぁ思わせて頂くんですけれども。それでもやはり、持っておるその、一つの業のようなもの、それはやはりもう、自分と言う者を、まぁ喜びの中に入って行ってしまいよるけれども、なかなかその喜べたり喜べなかったりなんですから。喜びを持ってすると、それがやはり反対に持てるものが、喜びを持ってせんと、それはやはり重たい物になる。
 御霊ながらも、やはりそれを精進しておる。50日祭、50日の(くにし祭?)がすんだら、100日、そしてまた1年と言うように、段々そういう、日にちがたつに従って、信心を進めて行く。そこんところが、「死んだからと言うて、神のおかげを受けずにはおられまいが」死んでからでもやはり、神様のおかげを受けなければならない。また受けられるのである。だからその受けられる、その基礎になるもの。それを私共が生前に頂いとかなきゃならん。
 死んで際にもお願いをする時に、死んでからでもお願いが出来れる信心。限りなく安心の御霊、喜びの御霊としての、成長を遂げていく。そういう事をこの43節には、教えてあるんだと思います。中々死に際という、まぁ言うなら一番苦しい瀬戸際ですから、瀬戸際の時に、お願いが出来るという信心。それには常日頃にとても苦しい時に、お願いが出来る様な心の状態は、生まれてこんだろうけれども、天地との言わば交流。
 天地との間に起きて来るリズムというのが、言わば、素晴らしいタイミングという、私は死ぬにも生きるにも、そういうタイミングが必要だと、そういうお繰り合わせを頂かねばならない。そこに死に際にも願われる、本当に心安しと言う様な、体の上にもお繰り合わせを頂かなければ、出来ることでは願えない。死んでからとてもやはり、素晴らしいタイミングが生まれて来る様な、お繰り合わせを頂かなければならない。きついなと思うておる時に、例えば孫が手伝ってくれると言う。
 佐田さんのおばあちゃまなんか、背中が痒いから、恵介君にかいてくれて言よんなさるお知らせを頂いた。もう本当に痒い時にかいてもらうという事は素晴らしい事。痒いけれども、かいてもらえないという事は苦しい。はい、それをかいてもらえれる、タイミングというものがね、出来て来るようなお繰り合わせ。そういう意味で、タイミングを感じておられる御霊様だと思います。恵介さん背中をいっちょかいてくれんのち、と言うてかいてもらえれるという事がおかげ。
 だからこれはもう生前でもそうですけれども、本当に神様を頂き続けるという事は、その素晴らしいそうしたタイミングが生まれてくるような、日常を頂いておかなければ、死に際だけに、お願いをするという事すら出来ない。そこん所に、タイミングが生まれて来ると、そこから、本当に有難いとお礼を言う心も、またお願いをする心も頂けれるような、心の状態を頂かせてもらう。『死に際にもお願いをする』死んだからと言うて、神のお世話にならん訳には行くまいがと。
 なら、いきなり苦しいからお願いします、と言うただけでは、やっぱりそこには、万事万端のお都合、御都合お繰り合わせを、いわゆるタイミングが生まれて来るような、言わば信心を、常日頃しとかなきゃならんという事になります。『死に際にもお願いが出来、死んでからも、素晴らしいお取次の働きによっておかげの頂いていけれれる元』を私共が、生前しっかり身に付けておかなきゃならない。どこまでもそういう信心を、身に付けて行く、お繰り合わせを頂かなければならない。
 とにかくお繰り合わせを願わなければいけない。またお繰り合わせが頂けれる、言うならば、体験。または、確信といったものが生まれて来るような、おかげを頂いとかなきゃならない。万事万端の上に、お繰り合わせを頂けれる信心を頂いとかなければ、死に際だけ、死んでからのお願いというような事も、出来ません。本当に日々の万事お都合、お繰り合わせの頂けれる中で、生活をさせてもらう、信心生活が、いよいよ出来て行かなければいけないですね。
   どうぞ。